« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

映画‘ミルク’

 アメリカで初めてゲイであることを公表して公職(市政執行委員、日本での市議に近い役職らしい)に就いたハーヴィー・ミルクの伝記映画。本年度アカデミー賞主演男優賞、脚本賞を受賞した話題作。
 一口に差別に立ち向かうといっても、その道は平坦ではない。40歳にして人生を変えたいと思ったミルクは恋人スコットとともにニューヨークからサンフランシスコに移り住みカメラ店を営む。社交的な彼はゲイ・コミュニティの支持を受け、自分たちの権利を守るべく政治運動を開始する。しかし自分たちの存在をアピールするのが目的とは言っても、市政執行委員の選挙で三回連続落選。またしばしば脅迫を受ける。しかし、周囲の心配をよそに笑って受け流すミルク。スコットとの約束を破って四回目に立候補したため別れてしまうが、ようやく当選。ゲイのみならず広く弱者の救済を訴えた彼の存在感は増していくが、一方保守勢力は同性愛者の教師を解雇できるプロポジション6の成立をもくろむ。
 不屈の人といってよいだろう。決してスーパーマンではなく若くして政治を志したわけではない彼が命を懸けて戦ったのは、社会の抑圧を受けてきた思いがあったからだろう。そして、赤裸々といってもいいぐらい描かれているミルクのプライヴェート・ライフには常に悲劇がつきまとう。また政治的には時に強引な手法を使うところがあり、それもしっかり描かれていて深みがある。様々な面を持つミルクだが、その姿勢は前向きで人懐っこさと明るさがあり
、映画には光がある。そんなミルクと映画製作者の姿勢に素直に胸を打たれる素晴らしい作品だ。

映画‘ミルク’オフィシャルサイト→http://milk-movie.jp/main.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ジェイン・エア』 C・ブロンテ

 エンターテインメント小説(ていうかSF)ばかり読んでいた身には、古典というのはなかなか心理的な敷居が高い。もともとロマンス小説にも疎い当ブログ主には果たして本書を読み通せるのかと思っていた。が、実際は非常に読み易く数日で読了出来た。
 幼くして両親を亡くした主人公ジェイン・エア。伯母の家に預けられるが、伯母には冷遇されその子供たちにもいじめられる。芯の強いジェインはやがてそこに居場所がないことを悟り、寄宿学校に行く。貧しい環境の中、ジェインは友人や恩師に支えられ家庭教師になる。彼女が雇われたのはロチェスター家。そこの主人である謎めいたエドワード・ロチェスターの信頼を得るとともに、彼女もエドワードに惹かれていくのであった。
 1847年に出版された作品。詳しくは知らないが、おそらくは後続の作品が相当手本にしただろうから、ベタといってもいいような展開がみられ、時にちょっと強引なところもなくはないが、次から次にエピソードがあって実に飽きさせない。誠実で心強い存在である恩師、恋敵の厭味なお嬢様だとかいい意味でステレオタイプな登場人物もむしろ心地よいぐらいにはまっている。また大仰な台詞回しも雰囲気があってよい。一方で全体としてしっかり現代性が感じられるのは(解説にもふれられているように)主人公ジェインの人物造形に追うところが大きい。運命に翻弄されるものの最終的に自らの意思で道を選び、男性原理には容易にくみしないのである。基本的に女性の自立を扱っているから現代人には身近に感じられる(逆に世の中が進歩していないのかもしれんな)。物語の後半キリスト教信仰に関するディスカッションがからむあたりは非キリスト教徒の日本人である当ブログ主にはやや読みづらい部分もあったが、それも一部であって、全体としてはジェインの波乱万丈の一代記をすいすいと楽しく読むことができた。名訳者のおかげも大きいのだろうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 フィッツジェラルド

 kazuouさんの‘奇妙な世界の片隅で’で紹介されたていたので薄いこともあって手に取った。フィッツジェラルドははじめて読んだけどいろいろな種類の短編があって楽しめた。短編も結構書いているようだ。
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 映画の方はみていない。生まれたとき老人でだんだん若返るという、まあそれだけといえばそれだけの話。普通の作家だったら叙情的な余韻を残すような話にするところだが、全体にドライさと苦さが漂うところが独特。
「レイモンドの謎」 街の郊外の殺人事件。果たして犯人は捕まるのか!ということで本格ミステリ。冒頭から謎解き役たちが登場して、事件を捜査するうちに、また出来事がおこってというような王道の展開がテンポよく進む。面白いけどまあまあぐらいかな、と思ったけど十三歳時の作品と知って愕然。
「モコモコの朝」 犬目線小説。平凡な擬人化を免れていて巧い。
「最後の美女」 恋多き南部の娘アイリー。主人公は友人として付き合っていくが。苦い余韻の残る青春小説、かな。
「ダンス・パーティの惨劇」 主人公は婚約者がいる青年チャーリーに惹かれてしまう。そんな中ダンス・パーティでチャーリーの婚約者マリーが射殺され、マリーと激しい口論をしていたという彼が逮捕されてしまう。これまたミステリ。パーティの華やかで甘い雰囲気やダンスの躍動感の描写などが実に印象的。舞台設定の南部というのも効いている。
「異邦人」 外遊を楽しむ魅力的な若い夫婦。華やかな生活はやがて二人の間に亀裂を生みはじめる。宴のあとの倦怠、みたいなものがこの作家の特徴なのだろうか。「最後の美女」もそうだが、圧倒的な喪失感が読後にずしりとくる。
「家具工房の外で」  家具工房に注文をするためにやってきた親子三人。注文に行った母親を車内で待つ間、父親は外の風景をみながら娘に即興でおとぎ話をはじめる。短いが技巧的な作品。これも巧いなあ。
 フィッツジェラルドのことはよく知らなかったが、華やかな生活と凋落と短い生涯の人であることを知り、カポーティに通じるものがあるなあと思った。というわけで、フィッツジェラルドにも興味が出てきたので、そのうちギャツビーやら何やらも読んでいこう。いつになるか分からんけど。(ちなみに英語の方はかなり難しいらしいね)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

3周年

 ふとブログを開始してどれ位経ったかなあと思って確認したら、今日でちょうど開設3年であったことが分かった。読み返すと誤字脱字や意味不明な文が目立つ、恥ずかしい内容のブログだが、何のかんので続けてこれたのも、読んでいただいた方々のおかげであります。有難うございます。元々マイペースなブログですが、私事でしばらく更新のペースが今までよりさらに遅れるかもしれません。まあそれでも止めることはあんまり考えていないので、またお付き合いいただけたらうれしいかな、と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『風の十二方位』 アーシュラ・K・ル・グィン

 ル・グィンも興味がありながらまだ数冊しか読んでいない作家である。きちんとは思い出せないが『闇の左手』は面白かったように思う。本書は当ブログ主がSFを読み始めたころから世評が高かった。で、のんびり読む機会を探っていたら四半世紀が過ぎてしまった。いやはや。さて中身だが、予備知識なく手に取ったら(解説にもあるように)長編と関連するような短編が結構多かった。それらは決して単独ではわからないというものばかりではないが、わかりづらいものもあった。というわけで、それぞれの感想、そして単独で読めて面白いものに○を。
「セムリの首飾り」○ 『ロカノンの世界』の序章だったということで、これも長編関連作品といえるが、これはそのままでも楽しめる。ファンタジイ的な世界の裏にSF設定があるというもの。
「四月の巴里」○ とある文学博士がやけになって呪文を唱えると・・・。著者にとってはお遊びの短編なのかもしれないけど、こういうのは好きです。
「マスターズ」○ 中世(あるいは中世的な世界?)を舞台に科学的思考が秘蹟として一部の修士たちに受け継がれている、という話。派手なアイディアがあるわけではないけれど、いろいろな意味でSFファンの琴線に触れる作品でしょう。
「暗闇の箱」  ヒロイック・ファンタジイ的な雰囲気のある作品だが、いかんせん短い。
「解放の呪文」 アースシーの一部。傑作といわれているが、うーん単独だとファンタジイ方面に疎い身にはきつい(作品世界に没入しにくいのである)。
「名前の掟」 これもアースシーものだが、こちらは軽妙なコメディで楽しめる。「呪文」と共に言葉が大きな意味を持つところも特徴なんだろうなあ。
「冬の王」 冬というのだから『闇の左手』関連作品。ヒロイック・ファンタジイとSFの要素がバランスよく組み合わさっていて面白かった。ただ作品の背景を知らないとどうか。
「グッド・トリップ」 ドラッグもの。『天のろくろ』は積読中。
「九つのいのち」○ 退屈な惑星で仕事をしていた二人の男のもとに男女5人づつのクローンがやってきた!これは皮肉な笑いに満ちたSFらしい作品。
「もの」○ 終末をむかえる(中世的な)世界の中で、煉瓦を運ぶ男。ル・グィンいうところの<心の神話(サイコミス)>が、どんなものかいまいちわからないけど、何はともあれずしりと重い読後感が残る作品である。
「記憶への旅」 これも名前に関する話のようだが、言語実験的で難しい。
「帝国よりも大きくゆるやかに」○ 変な惑星にいって危ない目にあう、というストレートなスター・トレックもの。個性的な乗組員という点でも。わかりやすい傑作。
「地底の星」 中世的な世界で異端視された天文学者は。「マスターズ」と同傾向の作品。こうした中世的な世界を書かせるとほんとに巧いね。
「視野」 予定を大幅に短縮して火星から帰還した宇宙船の乗組員たちにおこったこととは。うーん、単独で読める作品だけど、これは平凡なよくあるSF。
「相対性」 まずまず楽しめるが、冒頭の作品紹介(全ての作品の前に著者による作品紹介がついてます)で著者自らネタばらしをしているのはどうか(本人はネタだと思っていないということか、うーむ)。
「オメラスから歩み去る人々」○ 美しく幸福に満ちた星オメラスとは。いやーこれは名作です。全部で11pにもならないのに、凄いぞ。ティプトリーみたい、というと勘のいい人はアイディアがわかってしまうかな。さて、この作品はSFマガジン2008年7月号若島正「乱視読者のSF短篇講義」で取り上げられている。本作から続くユートピアに関するル・グィンの思索の軌跡が(なかなかハードな論考だが)興味深い。また、若島先生と『所有せざる人々』の出会いが書かれていて、ル・グィンがtheという定冠詞ひとつの使い方で作品世界を構築できる恐ろしく高い技量を持った作家であることも伝わってくる。そういった意味では、なんだかこんなぬるい感想を書いているより、少しでも原書に当たった方がいいのかなと気落ちしてしまうが、まあそれはともかく邦訳の『所有せざる人々を』読まなきゃだ(と思ったら、積読してたはずなのに行方不明。入手困難のようだし困ったなあ)。
「革命前夜」 これはその『所有せざる人々』関連もの。まさに革命前夜の話のようだが、これまた単独では厳しいなあ。
 というわけで、読んでみたら初期のル・グィンの集大成的な作品集であった。多様な作品が入って著者自身の解説もあって充実した短編集だが、充実し過ぎてファン以外にはやや敷居の高いものとなってしまった感もある。入門編として、もう少し作品数が少なくてシリーズものと関係がなくてわかりやすい短編を集めたものがあってもいいのになあと老婆心ながら思いました。あと言葉を細かく使い分ける作家のようなので翻訳作業は難しそうだとも思った。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画‘チェイサー’

 実際の連続殺人事件をテーマにした韓国映画ということで、‘殺人の追憶’とどうしても比較をしてしまう。実際そうした視点も多いようだが果たして軍配はどちらに。
 ソウルで風俗嬢ミジンの連絡が途絶え、元刑事である雇い主ジュンホが独自に探し始める。ひょんなことから犯人ヨンミンを捕まえることに成功するが、ヨンミンは警察での尋問をかわす一方、ミジンが生存していることをほのめかす。警察の内紛などから証拠不十分で釈放の期限が迫る一方、ミジンの居所は一向につかめない。残されたミジンの娘をかかえながら冴えない落第中年が奔走する。
 作品そのものでいけば、‘殺人の追憶’の方がよくできていた。本作では犯人はもう分かっていて、生存者探しが話の中心になってくるわけだが、やはり基本的に犯人探しである‘追憶’の方がサスペンスとしては盛り上がる。映画秘宝のインタビューから警察の無策無能ぶりが作品のテーマなのは分かるが、警察内部の混乱のパートはちょっと長過ぎてややだれる。元刑事とはいえ単なる風俗店主ジュンホの決死の捜査の動機もあいまいな印象が残る。ジュンホ(キム・ヨンソク)がソン・ガンホに似てるのも‘追憶’を想起させてしまい後発作品としては不利。全体に偶然性とつくりのゆるさが目立つが、警察の捜査のパートについては現実に近いのかもしれないとも考えられ意外にリアル感がある。特にヨンミンが殺人をあっさり自供するところは結構面白かった。いろいろとあらさがしをしてしまったが、みて損のない良作だと思う。ポン・ジュノがある程度キャリアを築いてから撮った‘追憶’とナ・ホンジン監督の長編デビューである本作では状況が違う。韓国映画独特の激しさ、悪夢的展開、雨と坂道の多い風景などみどころは多く、将来を期待させる人であるのは間違いない。ちなみに残虐描写はそれほどでもなく、むしろハードなアクションが目立つ作品である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2夜連続劇的な

 サヨナラにホームラン攻勢の逆転と2夜連続劇的な敗戦。>横浜
 得点力の低い打線、まずい投手交代、リードを守れないリリーフ陣と絵に描いたような弱小チームである。それでも打たれたとはいえ、これまで頑張ってきた山口俊は責められまい。荷が重かったということだろう。おぼろげながら見えてきた勝ちパターンがあっさり霧散し、また連敗のスパイラルに入りそうだ(嘆息)。※追記 山口俊は4月の月間MVPに選ばれたんだな。セットアッパーの立場(今はクローザーだけど)で受賞するのは珍しいのではないか。その意味では幸運だったかも。これで気持ちを持ち直してくれればなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

SFセミナー2009に参加

 今年もSFセミナーに参加した。今回はバラード追悼企画があったので、合宿にも参加。合宿まで参加したのは20年ぶりくらいでしょうか。主にみた企画について、あくまで断片的な私的まとめを。

○円城塔企画 図(や模型)をつくって横に置いて作品を書くという創作方法に驚かされる。まあ作家の生活をみたことがあるわけではないし、いろいろな創作方法があって他にもそんな人がいるかもしれない(いない?)。こちらは平凡な読者なので物語として理解可能か不可能か判断してしまうのだが、小説の構造自体をみるという読書方法だと理解できるのかな。話題の無料ネット配信ライトノベル『ホワイト・スペース』のことも再三出てきた。ひょんなことから企画が持ち上がった様子でなかなか興味深い。会話を書くキツさ(年齢的に)の話も出ていた。これも含め未読を読まないとなあ。昼夜どちらの部でも、ご家族の話題が繰り返され爆笑となっていた。円城塔流の家族小説は実現すればぜひ読みたい。興味深かった発言を羅列。
・ウリポはよくわからない
・(普通の小説は横や縦にしか進まないが)垂直方向に飛び出す話を書きたかった←「パリンプセスト」の■はそれに近い気がした
・物理論文でも大ボラを吹こうとしていた(それでいいの!?)

○若手SF評論家企画 日本SF評論賞を契機に新しいSF評論家が出てきたということでの企画。昼の部ではそれぞれの評論に向かう姿勢などプロフィール紹介的な話題が中心だったが、夜の部では、読者の指向性が細分化され、さらに実社会への利益還元も評論に要求されるような時代背景において評論家が何をしたらよいのか、という問題について熱い議論がなされた。そこには1962年生まれの二人(石和義之さん、礒部剛喜さん)と他の若い四人(海老原豊さん、岡和田晃さん、藤田直哉さん、横道仁志さん)の世代間の差、といったものも多少うかがえたが、それにも増してそれぞれの方が大変個性的で面白かった。皆さんの今後、期待させるなあ。個人的には礒部さんが「これまでSF界が排除してきたUFO現象などを含めるなどSFの再定義が必要」といった問題提起に共感した(いかがわしい物を含んでのSF史は必要だろう)。また、横道さんの「評論家は透明であるのが理想で作品そのものを読ませるということこそが役割」という立場の純粋性を重んじる姿勢が特に印象的で存在感があった。評論は原作がなくても成り立つかという問題も永遠のテーマだなあ。ボルヘスやレムの架空批評はいちおう「作品であって評論ではない」というあたりに落ち着いたけど、はたしてそう言い切れるのか。いずれにしても「鳥姫伝」読まなきゃ(ごめんなさい、まだ読んでません)。全員のプロフィールはこちら。あと柳下毅一郎さんが指摘したように若島正評論のような逐語的な探索から作品を解き明かすようなものは確かにもっと読んでみたいし、そういう方向性を日本SF評論賞の方でも積極的に評価してほしいものだ。

○バラード追悼企画 バラードの『楽園への疾走』を中心に追悼企画。いやあ初参加から20ン年目にして、はじめて発言してみましたよ。まあそれはともかく追悼として全体について話し合う時間はさすがになく、『楽園への疾走』の社会学的心理学的な側面やバラード作品内の位置づけといったあたりが話題となった。短編好きとしては初期の異色作家風の変な短編の話もしたかったんだけど。発言したことの繰り返しになってしまうのだが、増田まもるさんや永田弘太郎さんも言っていたようにバラードの作品のテーマは一貫していていつも同じことが書かれているといっていいと思う。終りがけに、バラードは医学用語を多用する印象があったので調子に乗ってそのことを言ってみたんだが、柳下毅一郎さんが「(そうした用語が使われるのは)科学ジャーナリズムに関わった経験からで、きちんと医学を勉強していたかどうかはっきりしない。全体としてバラードのキャリアはころころ変わってミーハーっぽい。」という指摘を受けた。なるほど。たしかにバラードのは医学志向ではなく医学(医療)フェチ(サイエンス・フェチ話を流用)。作家になったのは大正解だろう(そんな人がお医者さんになるのはアブナいです)。

今年も楽しみました。ご出演の方々、スタッフの皆様本当にありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »